企画展・特別展のご案内
企画展『木下逸雲の南画』開催期間:2022/09/17 ~ 2023/01/15終了
企画展『長崎の虎』開催期間:2022/04/09 ~ 2022/07/09終了
開港450年記念企画展『長崎港の今と昔』開催期間:2021/08/08 ~ 2022/01/10終了
企画展『幕末の長崎と龍馬の夢』開催期間:2020/11/06 ~ 2021/05/11終了
企画展『鉄翁祖門の南画』開催期間:2020/06/17 ~ 2020/09/22終了
企画展『長崎派と四季の草花』開催期間:2020/02/01 ~ 2020/04/19終了
開館10周年記念企画展『田川憲 版画の世界』開催期間:2019/09/14 ~ 2020/01/15終了
企画展『来舶四大家と長崎南画』開催期間:2019/06/01 ~ 2019/08/01終了
企画展『来舶清人の書と絵画』開催期間:2019/02/09 ~ 2019/04/13終了
企画展『坂本龍馬と幕末人物伝』開催期間:2018/10/29 ~ 2019/01/19終了

企画展・特別展 入館料


個人 団体(5名以上)
大人 \500 \400
高校生 \300 \250
小・中学生 \200 \150


企画展・特別展 紹介

≪企画展『木下逸雲の南画』≫
 開催期間:2022/09/17 ~ 2023/01/15  (※この企画展は終了しました。)

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木下逸雲は、寛政12年(1800)長崎八幡町乙名・木下清左衛門勝茂の四男として生まれました。
文化14年(1817)から同町乙名を勤め、亀山焼の事業に保護と援助とを与えています。

文政12年(1829)乙名役を兄潤太郎の嫡子勇之助に譲り、その後は医師として、又画家としてその生涯を送りました。

逸雲は幼少のころより絵事を好み、初め、石崎融思についてその画法を学びましたが、後に来舶清人・江稼圃に師事して南宗画を学び、鉄翁禅師・三浦梧門と共に幕末南宗画の三筆と称されました。
また、書や和歌を善くし、更に茶事をたしなみ、茶人としても知られていました。

今回の企画展では、このような木下逸雲の作品を集め、山水画を中心に展示しています。
木下逸雲の南画の世界を存分に楽しんでいただきたいと思います。


主な展示品
炉粕焼・メダカ文水入れ 元治2年(1865)66歳
浅絳春景山水圖 天保15年(1844)45歳
柳浪軽舟圖 弘化8(1846)47歳
紅葉山水圖 嘉永2年(1849)50歳
雪中山水圖 慶応元年(1865)66歳
四季山水圖 制作年不詳
飛瀑圖 慶応2年(1866)67歳
四行書 制作年不詳
七香之圖 文政12年(1829)30歳
木下逸雲の南画1

木下逸雲の南画2

木下逸雲の南画3

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≪企画展『長崎の虎』≫
 開催期間:2022/04/09 ~ 2022/07/09  (※この企画展は終了しました。)

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長崎の虎1

長崎の虎2

長崎の虎3

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≪開港450年記念企画展『長崎港の今と昔』≫
 開催期間:2021/08/08 ~ 2022/01/10  (※この企画展は終了しました。)

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元亀2年4月27日(1571年5月30日)ポルトガル船2隻が初めて長崎に入港しました。
それから450年、長崎の港は幾多の変遷を重ねて、現在の長崎港へと発展していきます。

天正8年(1580)には大村純忠が長崎6町と茂木をイエズス会に寄進。
4年後、有馬晴信が浦上をイエズス会に寄進。長崎はキリシタンの町として発展していきます。

慶長2年(1597)頃からは、大川(中島川)沿いの田畑が拓かれ、また新しく埋立てが行われるなど、新しい町が次々と生まれていきます。

寛永13年(1636)ポルトガル人を収容するための出島が完成。元禄15年(1702)には新地蔵が完成するなど、港の形も少しづつ変わっていきました。

享保15年(1730)から埋立てが始まった浦上新田の造成では、長崎港の形状が最も大きく変わることとなりました。

幕末になると、開国により長崎は大浦・下り松・梅ヶ崎が居留地として埋め立てられ、港にはアメリカ、イギリス、フランス、ロシア等の艦船が入港して賑わいました。

明治に入ると、第1次、第2次の港湾改良工事が行われ、現在の長崎駅付近が埋立てられ、出島が陸続きになるなど、港の形状も大きく変わりました。

その後も長崎港の埋立ては続き、現在の長崎港へと少しづつ変化していきました。

今回の企画展では、江戸時代はじめからの地図・絵図・写真や資料等を、時代を追って展示していますので、長崎の港の変遷が手にとるように分かるようになっています。 是非、この機会に長崎の港の移り変りと共に、長崎の歴史、また、そこに生きた人々の生活に触れてみてはいかがでしょうか?


主な展示品
長崎湊大絵圖 承応年間頃(1652~1671)
長崎港之圖 享保頃(1716~1736)
肥州長崎圖 安永7年(1778)
肥州長崎圖 享和2年(1802)
長崎港全図 明治3年(1870)
長崎港精図 明治25年(1892)
景勝の長崎・吉田初三郎 昭和9年(1934)
長崎市街案内図 昭和21年(1946)
長崎港の今と昔1

長崎港の今と昔2

長崎港の今と昔3

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≪企画展『幕末の長崎と龍馬の夢』≫
 開催期間:2020/11/06 ~ 2021/05/11  (※この企画展は終了しました。)

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坂本龍馬は天保6年(1836)土佐藩郷士の次男として生まれる。

嘉永6年(1853)江戸で剣術修行を始めて間もなく、ペリーが浦賀沖に来航、同年12月には佐久間象山に蘭学などを学んだ。

文久2年(1862)龍馬は脱藩、松平春嶽の紹介で勝海舟を訪問して門人となる。 この海舟との出会いが龍馬の運命を変えることになる。

翌年には海舟の取りなしで龍馬の脱藩が許され、海舟の私塾への入門も許される。 またこの年、京都では「8月18日の政変」が起きる。

元治元年(1864)海舟の長崎出張に同行し、熊本で横井小楠を訪ね、のちの「船中八策」の原案となる「国是七条」を説かれる。

同年、神戸海軍操練所が発足するが、翌、慶応元年(1865)には廃止となり、海舟は小松帯刀に龍馬ら塾生の庇護を依頼、薩摩藩は龍馬らに出資して長崎で亀山社中を設立した。

慶応2年(1866)薩長同盟が結ばれ、寺田屋事件が起きる。

慶応3年(1867)龍馬は海援隊を結成、その後いろは丸事件・イカルス号事件が起きる。

そして運命の11月15日、京都河原町の近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲われ33歳の短い生涯を終えた。

今回の企画展では波乱に満ちた人生を送った坂本龍馬の肖像画の他に、幕末に活躍した人々の書や、長崎の陶磁器などの資料を展示しており、幕末の日本や長崎の歴史をひも解いていきます。 龍馬ファンだけでなく歴史に興味のある人、書に興味のある人など、いろんな人に楽しんで頂けるものと思います。


主な展示品
坂本龍馬肖像画 藤田紫香筆、公文菊遷筆
中岡慎太郎肖像画 藤田紫香筆
武市半平太肖像画 公文菊遷筆
三行書 勝海舟
二字書 高島秋帆
二行書 松本良順
二行書 山岡鉄舟
長崎の陶磁器 亀山焼、鵬ヶ崎焼、秋ノ浦焼
絵図・地図 西役所繪圖、江戸御絵圖、肥州長崎圖
幕末の長崎と龍馬の夢1

幕末の長崎と龍馬の夢2

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≪企画展『鉄翁祖門の南画』≫
 開催期間:2020/06/17 ~ 2020/09/22  (※この企画展は終了しました。)

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鉄翁祖門(1791~1872)は長崎銀屋町の日高勘右衛門の子として生まれ、11歳の時に春徳寺へ預けられ、僧となりました。
文政3年(1820)には14代住持となり、嘉永3年(1850)60歳までその職を務めました。
画は石崎融思について漢画を、後に唐通事・游龍梅泉の紹介で来舶清人江稼圃について南画を学びました。
退隠後は雲龍寺に移り、書画禅三昧の日々を過ごしています。
善く花弁山水を写し、雪景山水、蘭を得意としました、明治4年(1872)81歳で没。

今回の企画展では、鉄翁の南画を年代順に展示していますので、鉄翁作品の変遷を見ながら、南画の奥の深さを感じ、楽しんでいただけるのではないかと思います。


主な展示品
蟹之図 文化9年(1812)22歳
墨蘭図 天保12年(1841)51歳
懸崖墨蘭図 安政4年(1857)67歳
三友図 万延2年(1861)71歳
雪中山水図 文久4年(1864)74歳
蘭竹霊芝図 慶応2年(1866)76歳
菊竹図 明治2年(1869)79歳
蘭竹図 明治3年(1870)80歳
春景山水図 明治4年(1871)81歳
鉄翁禅師墨蘭画譜巻 制作年不詳
鉄翁祖門の南画1

鉄翁祖門の南画2

鉄翁祖門の南画3

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≪企画展『長崎派と四季の草花』≫
 開催期間:2020/02/01 ~ 2020/04/19  (※この企画展は終了しました。)

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元亀2年(1571)開港した長崎は、ポルトガルとの交易によって栄え、南蛮文化の黄金期を迎えます。

天正14年(1586)有馬から浦上に移転してきたイエズス会のセミナリヨでは、語学や音楽のほか、油絵・水彩画・銅版画などを教えていました。 その後トードスオスサントス教会に移転、翌年には被昇天の聖母教会(岬の教会)内に移り、慶長6年(1601)有馬へ移転していきました。 江戸時代の長崎は、オランダや中国との貿易を通じて海外からの文化、芸術の窓口として繁栄します。

江戸時代の初めに渡来した逸然に続き、沈南蘋・伊孚九・費漢源などが来日し、絵画の新様式を上方や江戸へ伝え、日本画壇に大きな影響を与えました。 特に南蘋派の影響は大きく、近世絵画に写実性を追求する姿勢を芽生えさせました。

この長崎開港から幕末の開国までの300年に亘って栄えた長崎では、長崎派と呼ばれる絵画の世界が育まれました。 長崎派の絵画のうち、逸然などの黄檗僧が伝えた漢画派・黄檗派・唐絵目利派と、沈南蘋が伝えた南蘋派を、まとめて一般的に漢画と呼んでいます。 長崎派の絵画は漢画のほか、南画・洋風画・版画を含めて大きく四つに分類されます。

今回の企画展では、漢画の花鳥画を中心に、長崎派の画家が描いた四季の草花のほか、果実や花木などの作品を展示しています。 この機会にぜひ会場にお越しいただき、長崎の四季の移ろいを少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


主な展示品
白梅薔薇小禽図 巌江琳
梅に鷹図 朝倉南陵
弥生節句之図 大久保玉珉
三千歳図 熊斐明
岩下牡丹之図 熊斐文
インコ図 宋紫石
蘆雁図 鏑木梅渓
朝顔図 広渡湖秀
芭蕉に鶴図 福田錦江
秋の日頃 栗原玉葉
長崎派と四季の草花1

長崎派と四季の草花2

長崎派と四季の草花3

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≪開館10周年記念企画展『田川憲 版画の世界』≫
 開催期間:2019/09/14 ~ 2020/01/15  (※この企画展は終了しました。)

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長崎南山手美術館は、おかげさまで開館10周年を迎えることができました。
このちっぽけな美術館が、開館10周年を迎えることができましたのも、ひとえに皆さま方の、長崎と長崎の文化を愛する気持ちとに支えられていることに感謝し、これからも長崎の文化をこの南山手から発信し続けて行く所存でございますので、今後ともご支援のほどよろしくお願い致します。

さて、今回の開館10周年記念企画展では、長崎をこよなく愛した版画家・田川憲を取上げ「田川憲・版画の世界」展を開催することになりました。

田川憲は昭和の初め、画家を志し上京し、ほどなく恩地孝四郎に出会い、版画に惹かれる様になります。 翌年には川端画学校に入学し、デッサン・油絵の勉強をしました。昭和8年には長崎に帰って南山手10番に住み、翌年、県立図書館で第1回の版画個展を開きました。 その後、版画集『新板長崎風景』を刊行、「詩と版画の会」を結成するなど本格的に版画家としての道を歩み始めます。

戦後も制作意欲は衰えず、版画シリーズ「長崎の花束」、第二版画集『長崎詩帖』、『版画長崎』第六輯を復刊するなど、次々と作品を発表し続けました。

田川憲は長崎の洋館をこよなく愛しました。 そして、その保護を訴えますがその反応は無く、長崎居留地を版画として残すことを決心し、「ながさき・おるごおる」「風化の町」などを発表していくのです。

今回の企画展では、古くは南蛮時代とキリシタン、唐寺や各教会、居留地時代の洋館など、田川憲が残した多くの作品を観賞しながら、長崎の歴史を学び、今もなお、皆さま方の心の奥底に残る、長崎の古き良き時代を再発見できる展覧会になることを願っています。


主な展示品
油彩・月島 昭和6年
医大薬草園 昭和11年
最後のかくれ切支丹 昭和41年
原爆への意志 昭和32年
異人墓地(坂本町) 版木・版画 昭和30年
十字薔薇の窓 昭和30年
南山手6番 昭和10年
油彩・22番の夾竹桃 昭和28年
長崎その深層風土 昭和36年
唐寺秋色 昭和34年
黄檗興福寺 昭和36年
田川憲 版画の世界1

田川憲 版画の世界2

田川憲 版画の世界3

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≪企画展『来舶四大家と長崎南画』≫
 開催期間:2019/06/01 ~ 2019/08/01  (※この企画展は終了しました。)

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南画を日本に伝えたのは伊孚九といわれています。

徳川幕府第八代将軍徳川吉宗の時代、享保5年(1720)南京船主・伊孚九は牡馬2頭を長崎に持渡りました。
伊孚九は余技として南宗画風の山水画を善くし、長崎の清水伯民が門弟となっています。
また池大雅や野呂介石などが私淑し、我国に於ける南宗画の発達に寄与しました。

その後、元文2年(1737)費漢源が長崎に渡来すると、建部稜岱、若芝喜左衛門らが師事して画法を修め、その画法は長崎の画人たちにも普及しました。

天明6年(1786)には張秋谷が惲(うん)南田の木骨画法を伝え、渡辺崋山や椿椿山の摂取するところとなりました。

幕末の文化元年(1804)には、財福として江稼圃が渡来。
写実より写意を重んじる南宗派の画法を伝え、菅井梅関、鉄翁祖門、木下逸雲らが師事しました。
江稼圃は黄公望風の山水画を能くし、文化・文政以後の日本南画に与えた影響は大きいものがあります。

今回の企画展では、来舶四大家の作品をはじめ、その影響を受けた人たち、幕末から明治にかけて花開いた長崎の南画を展示します。 この機会に長崎南画を納得いくまで鑑賞してみては如何でしょうか。


主な展示品
水墨山水図 伊孚九
威振八荒図 費漢源
梅之図 張秋谷
秋景山水図 江稼圃
懸崖墨蘭図 鉄翁祖門
浅絳春景山水図 木下逸雲
寒山雪暮 三浦梧門
雪中山水図 守山湘攀
米法山水図 中村陸舟
蘆雁図 伊東深江
来舶四大家と長崎南画1

来舶四大家と長崎南画2

来舶四大家と長崎南画3

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≪企画展『来舶清人の書と絵画』≫
 開催期間:2019/02/09 ~ 2019/04/13  (※この企画展は終了しました。)

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清は1616年に満州で建国され、1644年には首都を北京に移し中国支配を開始した。

しかし、中国南部に明の残党勢力が興り、特に鄭成功は台湾に拠って抵抗を繰り広げた。

のち順治帝によって中国南部も平定され、その後、清は276年間続くことになる。

1911年に孫文らによる辛亥革命が興り、1912年、清はその長い歴史に幕を閉じた。

その間、隠元や多くの黄檗僧が来崎、その後も多くの清人が貿易のために来舶した。

来舶清人が伝えた中国の文化は、書や絵画をはじめ、食生活から各種年中行事、その他日常生活までも影響を及ぼし、長崎の文化を語る上に欠かすことができない。

また、唐様の書や唐絵目利派や南蘋系の漢画、南画などは長崎のみならず、その後全国へと広まっていった。

今回の企画展では、江戸時代の初め・明末清初の時代から明治に至るまで長崎に来舶した清人たちの書や絵画を展示しています。 いろんな人に楽しんで頂けるものと思います。


主な展示品
二字書 朱舜水
蘆葉達磨 逸然
翆竹図 李用雲
水墨山水画 伊孚九
双鶴図 鄭維培
関羽図 宋紫岩
淡彩山水図 江稼圃
長崎土産序 銭少虎
雪中山水図 徐雨亭
梅花書屋図 馮鏡如
来舶清人の書と絵画1

来舶清人の書と絵画2

来舶清人の書と絵画3

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≪企画展『坂本龍馬と幕末人物伝』≫
 開催期間:2018/10/29 ~ 2019/01/19  (※この企画展は終了しました。)

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坂本龍馬が生きた幕末の時代には、様々な人物が織りなす人間模様が見て取れます。

天保6年(1836)土佐藩郷士の次男として生まれた龍馬は、嘉永6年(1853)江戸で剣術修行に行き、12月には佐久間象山に蘭学などを学びました。

文久2年(1862)龍馬は脱藩し、松平春嶽の紹介で勝海舟を訪問して門人となりますが、この海舟との出会いが龍馬の運命を大きく変えることになります。

翌年には海舟の取りなしで龍馬の脱藩が許され、海舟の私塾への入門も許されました。

元治元年(1864)海舟の長崎出張に同行した龍馬は、熊本で横井小楠を訪ね、のちの「船中八策」の原案となる「国是七条」を説かれます。 同年、神戸海軍操練所が発足しますが、翌年廃止になると、海舟は小松帯刀に龍馬ら塾生の庇護を依頼、薩摩藩は龍馬らに出資して長崎で亀山社中を設立しました。

慶応2年(1866)薩長同盟が結ばれ、寺田屋事件も起きます。

慶応3年(1867)龍馬は海援隊を結成、その後いろは丸事件・イカルス号事件が起き、そして運命の11月15日、京都河原町の近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲われ33歳の短い生涯を終えました。

今回の企画展では波乱に満ちた人生を送った坂本龍馬と、龍馬に色々な影響を与えた人々、また、同時代に生きた人々の書や長崎の陶磁器などの資料を展示して、幕末の日本や長崎の歴史をひも解いていきます。

龍馬ファンだけでなく歴史に興味のある人、陶磁器に興味のある人、また書に興味のある人など、いろんな人に楽しんで頂けるものと思います。


主な展示品
坂本龍馬肖像画 藤田紫香筆、公文菊遷筆
中岡慎太郎肖像画 藤田紫香筆
武市半平太肖像画 公文菊遷筆
七行書 勝海舟
四行書 西郷隆盛
二字書 高島秋帆
二行書 松本良順
二行書 山岡鉄舟
長崎の陶磁器 亀山焼、鵬ヶ崎焼、秋ノ浦焼
絵図・地図 西役所繪圖、江戸御絵圖、肥州長崎圖
坂本龍馬と幕末人物伝1

坂本龍馬と幕末人物伝2

坂本龍馬と幕末人物伝3

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