開催中の企画展・特別展
企画展『長崎の神社・寺院・教会』開催期間:2017/08/09 ~ 2017/11/05


企画展・特別展のご案内
企画展『長崎の神社・寺院・教会』開催期間:2017/08/09 ~ 2017/11/05開催中
企画展『江稼圃と幕末の三筆』開催期間:2017/05/17 ~ 2017/07/30終了
企画展『中国文化と長崎』開催期間:2017/01/23 ~ 2017/04/23終了
企画展『坂本龍馬と幕末維新』開催期間:2016/10/17 ~ 2017/01/15終了
企画展『絵図で見る長崎の歴史』開催期間:2016/07/01 ~ 2016/09/24終了
企画展『近代長崎の書と絵画』開催期間:2016/03/24 ~ 2016/06/19終了
企画展『隠元と黄檗渡来僧』開催期間:2015/11/21 ~ 2016/03/07終了
企画展『長崎の動物園』開催期間:2015/08/18 ~ 2015/11/15終了
企画展『田川憲と長崎の版画』開催期間:2015/05/15 ~ 2015/08/10終了
企画展『長崎の雪月花』開催期間:2015/01/09 ~ 2015/05/09終了

企画展・特別展 入館料


個人 団体(5名以上)
大人 \500 \400
高校生 \300 \250
小・中学生 \200 \150

企画展・特別展 紹介

≪企画展『長崎の神社・寺院・教会』≫
 開催期間:2017/08/09 ~ 2017/11/05  開催中

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長崎の人々の信仰生活は、その時代の歴史的背景や為政者の思惑に大きく翻弄されてきました。

長崎が開港された元亀2年(1571)頃から、天正15年(1587)に豊臣秀吉が伴天連追放令を出すまでは、キリシタン全盛の時代でした。 その後、秀吉の命で教会が取り壊され、日本26聖人が西坂の丘で殉教するなど、取締りが厳しくなる一方で、長崎の町では新しい教会が次々と建設されていきました。

江戸時代に入り、慶長19年(1614)徳川家康が禁教令を発布以後、長崎では次々と教会が破壊され、布教は禁止、伴天連が追放されるなど、厳しい弾圧が続き、多くの殉教者が出ました。 教会跡地には大音寺や本蓮寺などが建てられ、延命寺、光永寺、清水寺、観善寺など仏寺の創建が盛んになります。 来舶清人らは、キリシタンでない証と先祖の菩提供養のため仏寺を建立し、航海安全を願って天后聖母を祀りました。承応3年(1654)には隠元禅師が来崎します。

寛永2年(1625)には青木賢清が奉行や代官の保護、援助を受け、諏訪社の社殿が建立され、寛永11年(1634)には長崎くんちが始まります。 また、松森天満宮、伊勢宮神社が創建されるなど神社の数も次第に増えていきました。

一方で、宣教師がいなくなると、キリシタンは仏教徒を装いながら潜伏、元治2年(1865)の信徒発見と浦上四番崩れを経て、明治6年(1873)にようやく制札が撤去されました。

今回の企画展では、諏訪神社の宮司などの書や絵画、くんちの資料のほか、長崎に渡来した黄檗僧や長崎の寺院の住持の書や絵画、切支丹制札やド・ロ版画、田川憲の版画のほか、明治期の古写真などを展示しています。 長崎の人々の信仰に寄せる真の心を感じて頂ければと思います。


主な展示品
小山田の雀 青木永章
諏訪神社祭事図 中島広足
諏訪神社図 萩原魚仙
釈尊絵伝 仏教聖画
二行書 霖玉仙(晧臺寺)
二行書 實譽説音(大音寺)
五行書 浅井日昇(長照寺)
一行書 黄檗渡来僧
切支丹制札 正徳元年
無原罪の聖母とキリスト ド・ロ版画
長崎の神社・寺院・教会1

長崎の神社・寺院・教会2

長崎の神社・寺院・教会3

長崎の神社・寺院・教会4

長崎の神社・寺院・教会5

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≪企画展『江稼圃と幕末の三筆』≫
 開催期間:2017/05/17 ~ 2017/07/30  (※この企画展は終了しました。)

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我が国における南画の歴史は、享保5年(1720)伊孚九が、初めて南京船主として長崎に渡来したことにより始まります。 余技として南宗画風の山水画をよくし、長崎の清水伯民が門弟となり、池大雅や野呂介石などが私淑するなどして、我が国における南宗画の発達に寄与しました。

元文2年(1737)費漢源が南京船主として渡来、文化元年(1804)には江稼圃が渡来します。
江稼圃は写実より写意を重んじる南宗派に属し、菅井梅関、鉄翁祖門、木下逸雲などが師事し、文化文政以後の日本南画に大きな影響を与えました。 長崎在住の南画家の中でも幕末の頃に生きた鉄翁祖門、木下逸雲、三浦梧門は長崎南画の三筆と呼ばれ、高い評価を受けています。

鉄翁は長崎銀屋町で生まれ、11歳の時に春徳寺へ預けられて僧となり、春徳寺14代住持となりました。
はじめ、唐絵目利石崎融思について漢画を学び、後に来舶清人江稼圃について南画を学びました。
退隠後は書画禅三昧の日々を過ごしました。雪景山水、蘭を得意としていました。

木下逸雲は八幡町乙名の三男として生まれ、同町乙名を勤めました。
絵画は初め、石崎融思について師事しましたが、後に来舶清人江稼圃について南画を学びました。
さらに、四条派や復古大和絵なども修めるなど、その作品は多岐にわたっています。

三浦梧門は本興善町乙名の長男として生まれ、同町乙名を勤め、後には長崎会所目付に昇進しました。
初め唐絵目利渡辺鶴洲について画法を学びましたが、さらに中国の名画を参考に独習、ついには南画の大家と称されました。 梧門は大和絵や土佐派の画法にも留意、花鳥画や人物画も得意としましたが、最も得意としたのは南画でした。

今回の企画展では、鉄翁祖門、木下逸雲、三浦梧門の長崎南画の三筆と江稼圃の作品を展示します。
山水画を始め、四君子、三友図、人物、書跡など、長崎南画の作品をご堪能ください。


主な展示品
淡彩山水図 江稼圃
秋景山水図 江稼圃
懸崖墨蘭図 鉄翁祖門
雪中山水図 鉄翁祖門
浅絳山水図 木下逸雲
雪中山水図 木下逸雲
秋景山水図 三浦梧門
淡彩山水図 三浦梧門
江稼圃と幕末の三筆1

江稼圃と幕末の三筆2

江稼圃と幕末の三筆3

江稼圃と幕末の三筆4

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≪企画展『中国文化と長崎』≫
 開催期間:2017/01/23 ~ 2017/04/23  (※この企画展は終了しました。)

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長崎と中国との関係は古く、永禄5年(1562)唐船が戸町浦に来たのが最初とされています。
寛永12年(1635)には唐船の入津を長崎だけに限定する「長崎集中令」が出され、これにより中国からの文化はすべて長崎を窓口として我が国に入ってくることになります。

江戸時代の初期、隠元をはじめとする多くの唐僧が長崎に渡来し、黄檗宗が伝わりました。
隠元はその後、京都・宇治に黄檗山万福寺を創建します。
また、黄檗僧に書を学んだ北島雪山や林道栄、高玄岱などは唐様の書の先達といわれています。
このほか、絵画では長崎漢画の祖といわれる僧逸然に渡辺秀石や河村若芝が学び、渡辺秀石は最初の唐絵目利きに任命されました。

享保年間になると将軍吉宗の文化交流の奨励策がとられ、南京船主として唐国産牡馬を持ち渡った伊孚九が南宗画を伝え、吉宗の招聘に応じて沈南蘋が来崎し、日本人弟子である熊斐を通して我国に南蘋系の絵画が広まりました。

その後も費漢源、張秋谷、孟涵九、余菘秋亭、江稼圃・芸閣兄弟など多くの人たちが渡来すると、生の中国文化に接しようと日本国中から多くの文人墨客などが長崎を訪れるようになりました。

今回の企画展では、書や絵画など中国の文化を長崎に伝えた来舶清人と呼ばれる人々のほか、彼らに学んだ長崎の人たちに焦点を当てて展示します。


主な展示品
二字書 朱舜水
一行書 隠元、木庵、即非
書幅 北島雪山、高玄岱
蘆葉達磨 逸然
双鶴図 鄭維培
松鶴図 余菘秋亭
関帝図 宋紫岩
その他 蘇州土亀山焼などの工芸品
中国文化と長崎1

中国文化と長崎2

中国文化と長崎3

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≪企画展『坂本龍馬と幕末維新』≫
 開催期間:2016/10/17 ~ 2017/01/15  (※この企画展は終了しました。)

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坂本龍馬は天保6年(1836)土佐藩郷士の次男として生まれる。

嘉永6年(1853)江戸で剣術修行を始めて間もなく、ペリーが浦賀沖に来航、同年12月には佐久間象山に蘭学などを学んだ。

文久2年(1862)龍馬は脱藩、松平春嶽の紹介で勝海舟を訪問して門人となる。 この海舟との出会いが龍馬の運命を変えることになる。

翌年には海舟の取りなしで龍馬の脱藩が許され、海舟の私塾への入門も許される。 またこの年、京都では「8月18日の政変」が起きる。

元治元年(1864)海舟の長崎出張に同行し、熊本で横井小楠を訪ね、のちの「船中八策」の原案となる「国是七条」を説かれる。

同年、神戸海軍操練所が発足するが、翌、慶応元年(1865)には廃止となり、海舟は小松帯刀に龍馬ら塾生の庇護を依頼、薩摩藩は龍馬らに出資して長崎で亀山社中を設立した。

慶応2年(1866)薩長同盟が結ばれ、寺田屋事件が起きる。

慶応3年(1867)龍馬は海援隊を結成、その後いろは丸事件・イカルス号事件が起きる。

そして運命の11月15日、京都河原町の近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲われ33歳の短い生涯を終えた。

今回の企画展では波乱に満ちた人生を送った坂本龍馬の肖像画の他に、幕末に活躍した人々の書や、長崎の陶磁器などの資料を展示しており、幕末の日本や長崎の歴史をひも解いていきます。 龍馬ファンだけでなく歴史に興味のある人、書に興味のある人など、いろんな人に楽しんで頂けるものと思います。


主な展示品
坂本龍馬肖像画 藤田紫香筆、公文菊遷筆
中岡慎太郎肖像画 藤田紫香筆
武市半平太肖像画 公文菊遷筆
七行書 勝海舟
四行書 西郷隆盛
六行書 佐久間象山
二行書 福沢諭吉
長崎の陶磁器 亀山焼、鵬ヶ崎焼、秋ノ浦焼
絵図・地図 西役所繪圖、江戸御絵圖、肥州長崎圖
坂本龍馬と幕末維新1

坂本龍馬と幕末維新2

坂本龍馬と幕末維新3

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≪企画展『絵図で見る長崎の歴史』≫
 開催期間:2016/07/01 ~ 2016/09/24  (※この企画展は終了しました。)

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元亀2年(1571)長崎が開港され、僅か6カ町から始まった長崎の町はポルトガルとの貿易で栄え、町勢は拡大していった。

江戸時代に入ると長崎の町には禁教の嵐が吹き荒れ、ポルトガル人を収容するための出島が築造されるなど、地形的にも変化が生まれる。 この頃、「寛永長崎図」が作成され、長崎の絵図の歴史が始まる。

最初の頃は彩色手書きの絵図が作られていたが、やがて木版による絵図が作られるようになると、多くの版元が長崎の絵図を刊行するようになる。 また唐人屋敷の造成や新地蔵・浦上新田の埋築により、長崎の地図にも変化が現れる。

明治に入ると長崎の町が大きく変わる。第1次・第2次の長崎港湾改良工事により、中島川の変流工事が行なわれ、長崎港の北部が埋め立てられ、また出島の扇の形が消えるなど、長崎の港の形が大きく変わってくる。

大正時代には、路面電車の発達により陸上でも変化が現れる。 まず、築町から大学病院下までが開通すると、千馬町から出雲町、長崎駅前から古町・馬町へと次々と延伸されていった。

昭和20年の終戦を迎えると、浦上方面では原爆からの復興と同時に、区画整理が行なわれ、新しい街並みが出来ていった。 また南部では第1次外港整備計画による小ヶ倉・柳地区、深堀・香焼間の造成工事、第2次外港整備計画による神ノ島地区の造成事業が行なわれ、松ヶ枝観光埠頭などが整備された。

さらに、平成に入ると水辺の森公園が整備され、女神大橋が架けられるなど、開港以来、長崎の町は目まぐるしい変貌を遂げ、現在に至っている。

今回の企画展では絵図・地図その他の資料を通して、長崎の歴史を辿ります。
歴史に興味がある方だけでなく、お年寄りから子供まで楽しんで頂けるものと思います。


主な展示品
長崎湊大繪圖 寛文年間 彩色手書
新刊長崎大繪圖 享保年間 竹寿軒板
肥州長崎圖 安永7年 大畠板
肥州長崎圖 享和2年 唐絵屋井重・文錦堂板
肥前国長崎圖 文政10年 城南義卿写・彩色手書
長崎両御番所並御当拝䑓場繪圖 天保10年 彩色手書
長崎港精圖 明治25年
長崎港湾改良平面圖 明治30年
景勝の長崎 吉田初三郎 昭和9年
長崎国体長崎市案内図 昭和44年
絵図で見る長崎の歴史1

絵図で見る長崎の歴史2

絵図で見る長崎の歴史3

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≪企画展『近代長崎の書と絵画』≫
 開催期間:2016/03/24 ~ 2016/06/19  (※この企画展は終了しました。)

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日本での近代の始まりをいつにするかは諸説ありますが、今回の企画展『近代長崎の書と絵画』では、明治初年からから第2次世界大戦の終戦までを近代として、長崎における書と絵画を展示することにしました。

今回の企画展では、長崎南画を中心に展示しています。木下逸雲、三浦梧門が幕末に亡くなった後、鉄翁祖門や後の三筆といわれた守山湘颿、伊東深江、中村陸舟らを中心に、明治の始めには多くの南画家が長崎に現れ、今日の長崎南画へと続いて行きます。

このほか、日本画では、長谷川雪香、萩原魚仙などのグラバー図譜に携わった人達や、大久保玉珉とその弟子で美人画の栗原玉葉などが、また洋画では山本森之助などが挙げられます。 一方、書の世界では岡田篁所や西道仙のほか、大音寺の實譽説音、長照寺の浅井日昇、皓台寺の霖玉泉などの僧が書や仏画などを残しています。

今回の企画展では、「近代長崎における書と絵画」を十分に楽しんで頂けると思います。


主な展示品
七福神図 大久保玉珉
諏訪神社図 萩原魚仙
樹木 山本森之助
青緑山水図 守山春農
秋景山水図 江上瓊山
山水図 古森半仏子
楠公詩書 西道仙
四行書 岡田篁所
五行書 浅井日昇
明治3年長崎港全図
近代長崎の書と絵画1

近代長崎の書と絵画2

近代長崎の書と絵画3

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≪企画展『隠元と黄檗渡来僧』≫
 開催期間:2015/11/21 ~ 2016/03/07  (※この企画展は終了しました。)

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17世紀になると海上往来の祈祷のための媽姐廟として唐寺三ヵ寺が開創されましたが、各寺院の開基は当初から僧侶として渡来したわけではありませんでした。 このため唐僧を住持として招請しようとする動きが高まり、その次にはより高僧を迎えたいとの願いへと発展していきました。

このような中、承応3年(1654)弘法のため長崎に渡来した隠元禅師は、戒律を重んじる正統な中国臨済宗の法系と厳格な仏教儀礼を日本に伝え、当時沈滞していた日本禅宗界への新風となって大きな影響を与えます。 その後、禅師は京都宇治に黄檗山万福寺を開創しました。

また禅の教えだけではなく、明の時代の生活文化もそのまま日本に持ち込まれました。 その後も多くの黄檗僧が長崎に渡来して長崎の唐寺の住持となり、また万福寺に隠元禅師を訪ね、あるいはまた同寺の住持として晋山する者もいました。

今回の企画展『隠元と黄檗渡来僧』では、隠元禅師を長崎で迎えた渡来僧や隠元禅師と共に渡来した黄檗僧、黄檗山万福寺の歴代住持などの書画を展示していますので、皆さんに楽しんで観て頂けることと思います。

ぜひ、この機会に長崎に渡来した黄檗僧たちの書や絵画を鑑賞下さい。お待ちしています。


主な展示品
一行書 隠元隆琦
梅鶯図 木庵性瑫
一行書 即非如一
赤達磨一葦渡海図 逸然性融
書幅横物 獨立性易
釈迦如来図 慧林性機
一行書 独湛性螢
一行書 悦山道宗
一行書 千呆性侒
墨竹図 大鵬正鯤
隠元と黄檗渡来僧1

隠元と黄檗渡来僧2

隠元と黄檗渡来僧3

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≪企画展『長崎の動物園』≫
 開催期間:2015/08/18 ~ 2015/11/15  (※この企画展は終了しました。)

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「ながさきの動物園はどこにあるか、知ってる?」
こう尋ねると、子供達は決まって次のような答えを返します。
「長崎に動物園なんてあるの?」

ご年配の方に同じ質問をすると、「お諏訪さん」とすぐ返事が返ってきます。 我々が小さい頃にはこれといった楽しみもなく、お諏訪さんにお参りについて行くと、帰りに動物園に連れて行ってもらえるのが楽しみでした。

クジャクなどの鳥の声が近づくにつれて掃除が行き届いていないのか、動物の糞のような異様な臭いがして、熊が奥の穴蔵からのっそりと姿を現します。 猿が檻の中をはしゃぎまわり、どこにでもいるような鶏などもいます。 近頃聞いた話によると、今でもこの動物園はあるそうです。

長崎の港には、ほかでは見られない様々な動物たちが、オランダ船や唐船に乗ってやってきました。 象やラクダ、インコにオウム、火喰い鳥など。遠く南蛮時代の屏風には檻に入れられた虎も描かれています。 長崎の虎はよその虎と違ってとてもかわいいんです。 「ネコ虎」とも呼ばれる長崎虎は三日月のやさしい眼をして皆さんを見ています。 これらの虎は来舶清人や長崎の漢画系の多くの画家たちによって描かれています。

今回、「長崎の動物園」として企画展を開催しますが、長崎虎のほか鶴や白鷺などの鳥類、魚類などいろんな動物たちを展示して、皆様に楽しんで頂けるようにしています。 ぜひ一度、長崎虎に会いにきてください。


主な展示品
虎図 屏風六曲一双 松井慶仲筆
「虎図」 掛軸一幅 渡辺秀詮筆
「竹虎之図」 掛軸一幅 広渡湖秀筆
「インコ図」 掛軸一幅 宋紫石筆
「鹿之図」 額装 沈南蘋筆
「狸図」 掛軸一幅 小波魚青筆
「蘆雁図」 掛軸一幅 費漢源筆
「象図」 長崎古版画
「染付鳳凰牡丹文六角鉢」 亀山焼
「鶴香炉」 赤星亀女作
長崎の動物園1

長崎の動物園2

長崎の動物園3

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≪企画展『田川憲と長崎の版画』≫
 開催期間:2015/05/15 ~ 2015/08/10  (※この企画展は終了しました。)

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今、この長崎に住んでいる我々が居留地を考えるとき、観光地としての居留地以外に何を考えることができるでしょうか?

田川憲は『長崎東山手十二番館』の巻末の≪私の歩いた道≫の中で「ここ長崎居留地もわれらと同じく生き、呼吸していることを認識してほしい。そして今やこの界隈は病み衰え、瀕死の病床にある。加うるにその病人に手当てすることをしないで無理やりに薄っぺらな衣装を着せ、舞台に立たせている」と言っています。

さらに、「長崎の洋館は日本の貴重な文化財である。私はこの保護を叫んで久しいが、さっぱり反応がないので、今は言うことを止めた。今後は私一人で、画になり得る限り版画として残す方針に切り替えた。」とあります。

このようにして田川憲は長崎居留地を版画にして残すことを決心し「ながさき・おるごおる」「風化の町」などの作品を発表していくのです。

田川憲が生きた昭和30年から40年にかけての頃は、まだ「長崎の洋館群」も病んでいるとはいえ、まだ生きながらえていました。しかし、今は観光地など一部を除き、もうその姿を見ることは絶えて久しくなりました。

今回の企画展では、田川憲が残した長崎の居留地をはじめ、黄檗の寺々や原爆などの版画を展示することにより、田川憲の版画を十分楽しんで頂くとともに、今一度長崎を見つめ直す機会を提供したいと思います。


主な展示品
アポリネール動物詩集・猫兎 2曲屏風 昭和35年
南蛮渡来奇聞 昭和35年
花月引田屋蘭人遠眼鏡図 昭和30年
長崎原爆遺跡 昭和24年
異人墓地(坂本町) 版木・版画 昭和30年
油彩・22番の夾竹桃 昭和28年
私版・グラバー氏の庭 昭和32年
興福寺大雄宝殿 昭和36年
水彩・人間の丘 昭和37年
医大薬草園 昭和11年
田川憲と長崎の版画1

田川憲と長崎の版画2

田川憲と長崎の版画3

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≪企画展『長崎の雪月花』≫
 開催期間:2015/01/09 ~ 2015/05/09  (※この企画展は終了しました。)

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雪月花は白居易の詩「寄殷協律」の一節「雪月花時最憶君」によるもので、四季折々の自然の美しさを指すことばです。

長崎には「雪月花」に関する数多くの作品が遺されています。
隠元禅師をはじめとする黄檗僧は雪月花に関する書や絵画を残し、中国から長崎に伝わった南画では、雪中山水図や月梅図など雪や月に関する絵画が多く描かれ、漢画では唐絵目利や南蘋派の人達が四季折々に咲き乱れる極彩色の花々を描いています。

今回の企画展では、長崎に残された「雪月花」に関わる書や絵画・工芸品を取り上げて展示致します。
この機会に「長崎の雪月花」を十分楽しんで頂きますよう御案内申し上げます。


主な展示品
雪中竹図 勝野范古筆
雪景楼閣山水図 宋紫山筆
寒山雪暮図 三浦梧門筆
月中梅花図 熊斐文筆
月梅図 小原慶山筆
月竹図 大鵬筆
花開萬國春 悦山書
花鳥図 宋紫石筆
冨貴図 鏑木雲潭筆
花鳥図 巌江琳筆
花 一大字五言二句 慧極書
長崎の雪月花1

長崎の雪月花2

長崎の雪月花3

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